テイスティング雑談 脱初心者となるための条件
「ウイスキー初心者」という単語があります。
グーグル検索を書けると446000件もヒットしますし、各種イベントやネット上の記事だけでなく、会話の端々で「自分はまだ初心者なので」という表現で使われる事もあります。
意味するところは個人のウイスキー飲酒歴やドリンカーとしての位置づけを指すことが多いのですが、謙遜して使っているケースも多い中で、実際どの段階まで行けば脱初心者と言えるのか。
今回は、自分の周囲に居る「ウイスキーに関する造詣が深い」方々に共通している能力から、自分なりの考えをまとめてみます。
●脱初心者の基準
ウイスキーだけでなく様々な分野において、知識と経験、それがある一定のラインを越えれば脱初心者である、ということに異論はないと思います。
しかしその一定のラインというのがあいまいで、だいたいの場合は自認となります。
音楽など目に見える技術に直結するものだと、これが出来たら(弾けたら)というようなものはありますが、ウイスキーにあるとすれば資格試験くらいです。しかし経験も伴わなければ条件とはいえませんし、じゃあ1000本くらい飲めば脱初心者なのかと言われれても、ただ飲めば良いってワケでもありません。
こうした背景を踏まえ、自分が考えている基準は以下の2点です。
①ボトルのスペック(蒸留所、熟成年数、流通時期、度数、樽など)で、香味の予測が出来るようになる。
②好きと嫌い、良いと悪いの区別が出来るようになる。
①ボトルのスペックで香味の予測が出来るようになる。
誤解を招くかもしれないので最初に断りを入れると「飲まなくてもわかるようになる」と述べている訳ではありません。飲んできた経験と学んだ知識が結びついて整理された結果、得られる副産物が「予測」です。
ウイスキー飲み始めのころはボトルを見て「どんな味なんだろう」と、まさに右も左もわからない状況にあります。
それが、オフィシャルも、ボトラーズも、オールドボトルも飲み、ただ飲むだけでなく蒸留所やウイスキーを構成する要素について経験し、知識も得ていくと、自然と予測できる範囲が広がっていきます。
この範囲が全蒸留所とは言いませんが、少なくとも主要な銘柄の半分から1/3くらい予測がつくレベルになっていると、知識と経験が一定のラインを越えていると言えるのではないでしょうか。
BARや酒屋、ウイスキー仲間とのコミュニケーションで困ることが少なくなり、ブラインドテイスティングをやっても正解にたどり着くプロセスが明確化してきます。
他方で、知識と経験が増えてくると「このボトルはこういう香味」と、知らず知らずにそれを探しに言ってしまい、別な要素について盲目的になることもしばしば見られるように思います。 以前の記事で述べた「情報を飲んでいる」という状況になりがちなのは、知らないことが多い初心者より、この時点のほうが多いのかもしれません。
見えるが故の難しさと言うやつですね。
②好きと嫌い、良いと悪いの区別が出来るようになる。
何にしてもそうですが、まず人間は本能的に物事を整理します。
その代表的なものが、純粋に「好き」か「嫌い」か、という整理です。
それに対して、様々な情報から理論的に判断するのが「良い」と「悪い」になります。
ウイスキーを飲み始めたばかりの方は、好きか嫌いかは判断できても、何が良いのか悪いのか、知識と経験が伴わないため区別ができません。
①と同じ内容になってきますが、ウイスキーについての知識と、様々な香味に関する経験が結びつくことで、好きか嫌いかという基準以外に、こうだから良い、こうだから悪いという、もう一つの評価基準の構築に繋がっていきます。
例えば「このウイスキーはスモーキーで苦手だけど、この蒸留所のハウススタイルはしっかりと出ていて、シングルモルトとしては良いものだと思う。」とかですね。
話は少々脱線しますが、このブログでは、この2軸のハイブリットによってボトルの評価がされています。
当初は「良い、悪い」で評価しようか考えていましたが、個人ブログである以上、書き手の気持ちが見えないのもつまらないし、「好き嫌い」を完全に無視するのも不可能です。
よって、良い悪いはベースの4点として固定し、よほど完成度の高いものはその点でも加点しますが、基本的には好き嫌いで加点するようにしています。
●脱初心者の後は?
脱初心者の条件として自分が考えている2点をまとめましたが、通常なら初心者というランクがあれば、中級、上級とさらなる上位クラスもあるのだと思います。
しかし、ウイスキーが嗜好品である以上、進む道は飲み手の数だけあり、こだわりも当然あります。そのため、ある一定以上の能力があるウイスキードリンカーを細分化したり比較したりする評価軸は、意味が無いと考えています。
脱初心者の条件などと大それた事をまとめていると、そこまでいって初めて色々なことを試して良いというように読めてしまうかもしれません。しかし実際はそうではなく、自分の好きなようにやっていて、気がついたら「そういう領域にいた」という話。多少効率の良いやり方はあるんでしょうけど、趣味に効率を求める必要も無く、最初から自分の思う道を進むべきと考えます。
ひたすら飲みまくるもよし、知識を深めていくも良し、既存の枠から飛び出して美味しさを追求するも良し、楽しみ方は人それぞれであるわけですから、それは書道や茶道のごとく、自分なりの考えを突き詰めていく世界になります。
そこに明確なゴールはありませんし、誰が正しいわけでもない、すべては当人の考え方次第です。
ある種の美学、とも言えるかもしれませんね。
なんだかえらそうに語ってしまいましたが今回はこの辺で。
音楽など目に見える技術に直結するものだと、これが出来たら(弾けたら)というようなものはありますが、ウイスキーにあるとすれば資格試験くらいです。しかし経験も伴わなければ条件とはいえませんし、じゃあ1000本くらい飲めば脱初心者なのかと言われれても、ただ飲めば良いってワケでもありません。
こうした背景を踏まえ、自分が考えている基準は以下の2点です。
①ボトルのスペック(蒸留所、熟成年数、流通時期、度数、樽など)で、香味の予測が出来るようになる。
②好きと嫌い、良いと悪いの区別が出来るようになる。
①ボトルのスペックで香味の予測が出来るようになる。
誤解を招くかもしれないので最初に断りを入れると「飲まなくてもわかるようになる」と述べている訳ではありません。飲んできた経験と学んだ知識が結びついて整理された結果、得られる副産物が「予測」です。
ウイスキー飲み始めのころはボトルを見て「どんな味なんだろう」と、まさに右も左もわからない状況にあります。
それが、オフィシャルも、ボトラーズも、オールドボトルも飲み、ただ飲むだけでなく蒸留所やウイスキーを構成する要素について経験し、知識も得ていくと、自然と予測できる範囲が広がっていきます。
この範囲が全蒸留所とは言いませんが、少なくとも主要な銘柄の半分から1/3くらい予測がつくレベルになっていると、知識と経験が一定のラインを越えていると言えるのではないでしょうか。
BARや酒屋、ウイスキー仲間とのコミュニケーションで困ることが少なくなり、ブラインドテイスティングをやっても正解にたどり着くプロセスが明確化してきます。
他方で、知識と経験が増えてくると「このボトルはこういう香味」と、知らず知らずにそれを探しに言ってしまい、別な要素について盲目的になることもしばしば見られるように思います。 以前の記事で述べた「情報を飲んでいる」という状況になりがちなのは、知らないことが多い初心者より、この時点のほうが多いのかもしれません。
見えるが故の難しさと言うやつですね。
②好きと嫌い、良いと悪いの区別が出来るようになる。
何にしてもそうですが、まず人間は本能的に物事を整理します。
その代表的なものが、純粋に「好き」か「嫌い」か、という整理です。
それに対して、様々な情報から理論的に判断するのが「良い」と「悪い」になります。
ウイスキーを飲み始めたばかりの方は、好きか嫌いかは判断できても、何が良いのか悪いのか、知識と経験が伴わないため区別ができません。
①と同じ内容になってきますが、ウイスキーについての知識と、様々な香味に関する経験が結びつくことで、好きか嫌いかという基準以外に、こうだから良い、こうだから悪いという、もう一つの評価基準の構築に繋がっていきます。
例えば「このウイスキーはスモーキーで苦手だけど、この蒸留所のハウススタイルはしっかりと出ていて、シングルモルトとしては良いものだと思う。」とかですね。
話は少々脱線しますが、このブログでは、この2軸のハイブリットによってボトルの評価がされています。
当初は「良い、悪い」で評価しようか考えていましたが、個人ブログである以上、書き手の気持ちが見えないのもつまらないし、「好き嫌い」を完全に無視するのも不可能です。
よって、良い悪いはベースの4点として固定し、よほど完成度の高いものはその点でも加点しますが、基本的には好き嫌いで加点するようにしています。
●脱初心者の後は?
脱初心者の条件として自分が考えている2点をまとめましたが、通常なら初心者というランクがあれば、中級、上級とさらなる上位クラスもあるのだと思います。
しかし、ウイスキーが嗜好品である以上、進む道は飲み手の数だけあり、こだわりも当然あります。そのため、ある一定以上の能力があるウイスキードリンカーを細分化したり比較したりする評価軸は、意味が無いと考えています。
脱初心者の条件などと大それた事をまとめていると、そこまでいって初めて色々なことを試して良いというように読めてしまうかもしれません。しかし実際はそうではなく、自分の好きなようにやっていて、気がついたら「そういう領域にいた」という話。多少効率の良いやり方はあるんでしょうけど、趣味に効率を求める必要も無く、最初から自分の思う道を進むべきと考えます。
ひたすら飲みまくるもよし、知識を深めていくも良し、既存の枠から飛び出して美味しさを追求するも良し、楽しみ方は人それぞれであるわけですから、それは書道や茶道のごとく、自分なりの考えを突き詰めていく世界になります。
そこに明確なゴールはありませんし、誰が正しいわけでもない、すべては当人の考え方次第です。
ある種の美学、とも言えるかもしれませんね。
なんだかえらそうに語ってしまいましたが今回はこの辺で。