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ニッカウイスキー スーパーニッカ 1970年代流通 特級表記 43%

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NIKKA WHISKY
SUPER NIKKA
1970~1972's
180ml(760ml) 43%

グラス:木村硝子テイスティンググラス
場所:自宅
時期:開封後1週間程度
評価:★★★★(4)

香り:乾いた穀物系のアロマ、ハッカのようにスーッとする香り立ち。ほのかにレモングラスやオイルのようなアクセント。あわせて若いモルトを思わせるモルティーさ、香ばしい麦芽香も感じる。

味:スムーズなお口当たり、そこから広がるソーピーなフレーバーが口内から鼻腔に抜けていく。奥には薄めた蜂蜜、徐々に香ばしい麦芽風味。余韻にかけてはソーピーさがおさまり、蜂蜜レモンや軽やかな穀物感、ピーティーなほろ苦さが染み込むように残り、心地よいフィニッシュへと繋がる。

香り立ちは芳醇とはいえないが、味わいにはしっかりとしたモルティーさが感じられ、余韻もこの時代にしては悪くない。一方、口当たりで感じられるソーピーなパフュームに衝撃を受ける。少量加水すると香りが開くが、香味とも主体はレモン石鹸のようなソーピーさに。


1962年、竹鶴政孝が亡き最愛の妻への想いを込め、ニッカウイスキーの貯蔵原酒において考えうる様々な組み合わせを試し、竹鶴威氏と共に作り上げたという「初代スーパーニッカ」のことは、ご存知の方も多いと思います。
この初代スーパーニッカは、カガミクリスタル製の手吹きボトルが使われていて、替え栓も一つ一つ異なるなど、内外ともこだわりぬいた1本だったわけですが、その後1970年にリニューアルしたスーパーニッカが、今回のテイスティングアイテムです。(年代情報はニッカウヰスキーデータベースを参照。)

スーパーニッカはブレンデッドウイスキー区分であるものの、レシピ開発が行われた当時のニッカには連続式蒸留機がなく、どの程度グレーンが使われていたのかは判りません。実際に飲んだことが無いので判定もできませんが、主体はモルトウイスキーだったのではないかと思われます。
その後、ニッカは1963年に念願の連続式蒸留機"カフェスチル"を導入するわけですが、カフェグレーンがスーパーニッカに本格的に使われるようになったのは、このラベルチェンジからという説もあります。
また、1969年に操業した宮城峡の原酒は流石に使われてないと思いますが、1973年にもスーパーニッカはリニューアルを行っているため、タイミングで考えるなら次のボトルからと整理するのが自然です。



さて、この2代目スーパーニッカの特徴は、金属的な質感を思わせるラベルもさることながら、なんといってもボトルの肩部分にある突起。女性的なデザインがウリのスーパーニッカにあって、このボトルだけ男性的な趣きがあります。
機会があれば飲んでみたいと思っていたボトルだったのですが、このスーパーニッカが生産されたのは僅か3年余り。中々オークションへの出物もなく、BARでの出会いもなく、しかもウイスキーブーム&マッサン放送で高騰・・・。すっかり高嶺の花になってあきらめていたところに、今回たまたま180mlボトルを入手することが出来ました。
正直これで充分。味も見れるし、むしろスキットル代わりにも使えて最高じゃんって。

前置きすると、この時代のジャパニーズウイスキーはまだまだ黎明期です。
香り立ちについてはあまり良くないものが多く、味も同様。まあある種のロマンみたいなものだから・・・と口に含んで噴出しそうになりました。
口の中で一気に広がるパフューム、それもソーピーなタイプ。そういえば初代スーパーニッカはパフューミーだったという話を聞いたことがありますが、これはまさにです。「言うてもこの時代のニッカでまさか・・・」と半分どころかほとんど信じていなかったのですが、これを飲まされたら信じざるを得ません。

冒頭でも触れたように、竹鶴政孝は亡き妻リタへの想いと愛を込めてこのスーパーニッカを作ったという記録が残っています。
当時の日本人はともかく、イギリス人であるリタが使っていてもおかしくないコロンの類にブレンドの方向性を見出した・・・なんてこともあるんでしょうか。
っていうかそもそもこの時代の余市はパフューミーだった?あるいは輸入していた原酒の系統なのか。冷静にブレンドそのものとしてみてみると、当時のブレンデッドにありがちなブレンドアルコールのような香味べたべたでない、モルティーさにメーカーの気合いを感じる造りではありますが、それ以上に多くの謎が残ってしまいました。



ちなみに話は変りますが、この時代のスーパーニッカのラベル、何かに似てるなと思ったら、ジョニーウォーカースイングですね。
並べてみるとかな~り似てる。ボトル形状が近いというのもありますが、書体も含めてそっくりです(笑)。
今こんなのリリースしたらひと騒動起きちゃいそうですが、これもまた時代を感じる要素です。


【雑談】
クリスマスを挟んで、更新をしばらくお休みしてしまいました。
ここ1ヶ月間、虫垂炎が治ってこれで今年はもう無いだろうと思っていたところ、腸の調子が戻りきらないところで息子の胃腸風邪を貰ってしまい、またしても1週間食事すらままならぬ断酒の日々。まあネタは大量にあるので更新は問題なかったのですが、体調不良にかまけて年賀状作成と、毎年作っている1年間分の家族の写真整理&アルバム作業が滞り、それを集中的にやっていたわけです。おかげでなんとか間に合わせることができました(笑)。
とりあえずこれで年内にやるべき作業は完了。後はブログ、こちらも更新待ち記事にブラインドサンプルもたまってきた。。。ラストスパートをかけていきますよ!

ハイランドケルト(再現)

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先日、竹鶴政孝に影響を与えたウイスキーを調べていたところ、FB経由でドラマ"マッサン"のハイランドケルトのモデルと中身の情報を頂きました。

参照:竹鶴政孝がはじめて飲んだウイスキーは? ハイランドケルトの正体に迫る
http://whiskywarehouse.blog.jp/archives/1024375723.html

ラベルの通りシングルモルトとしか考えていなかったので驚きましたが、そのレシピは普通に再現できるモノでしたので、早速ハイランドケルトを再現してきました。
(実際は現行品を使っているようですが、店にあったのがオールドボトルのみだったので、今回はジョニ赤オールドボトル+アードベックTENです。)



ハイランドケルト(再現)
・ジョニーウォーカー赤ラベル 1980年代後期頃流通。20ml程度
・アードベックTEN 10ml程度


ハイランドケルトのモデルは当時のジョニーウォーカー赤ラベル。
正直ジョニ赤は1950年代流通までしか飲んだことが無いので、1910年代流通は妄想レベルでしかありませんが、
大多数のオールドスコッチの特徴としては、麦芽風味が強く、そしてピートに存在感があります。
これはアイラだけではなく、ハイランドのモルトにも強いピート風味を持つ原酒が多かったことが作用していると考えられます。
これを再現するため、ジョニ赤にシングルモルトであるアードベックを少量加え、香味を強くしたということのようです。

今回は2:1の比率ですが、現行品のジョニ赤であればオールドほどボディもないので、ジョニ赤25mlに対してアードベック5mlくらいでも良いと思います。

アードベックTENの現行品は、柔らかい飲み口で中間が軽く、塩ラーメンのスープのようでありながら後半に香ばしいピート香が出てくるのが特徴。
以前は酸味や樽香など、もう少し雑味があったような気がするんですが、この中間の軽さがブレンデットにうまくハマって、後半のピート香の強調に繋がっています。

自分もブレンデットを自作した際、最後にアードベックを加えたことが何度かありましたが、これが意外と良くまとまってくれるんです。
BARによっては、自作ブレンドをハウスウイスキーにしているところもあります。
こういう楽しみ方、もっと広がってくれるとBARの個性や楽しみが増えて良いんじゃないかなと思います。

少々脱線してしまいましたが、ドラマ好きの皆様は、これでBARでハイランドケルト注文しても大丈夫ですね(笑)。

竹鶴政孝がはじめて飲んだウイスキーは? ハイランドケルトの正体に迫る

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マッサンのスピンオフが決まりましたね。
1時間枠×2で2話。
あまりウイスキーとは関わりがなさそうですが、楽しみにしたいと思います。
 
参照:スピンオフドラマの放送が決定しました!(NHK)
 
 
さて、マッサン繋がりで最近疑問に思った事をひとつ。
マッサンこと亀山政春に大きな影響を与えたウイスキーは、ハイランドケルトでした。これは実在しない架空のウイスキー銘柄ですが、劇中では一つのキーとなっています。
では、
竹鶴政孝に"日本人に本当に美味しいウイスキーを飲んでほしい"と思わせたウイスキーって何だったんでしょうか。
晩年の竹鶴政孝が愛した酒がハイニッカだとか、修行した蒸留所はロングモーンとか、そういう話はあるんですが、最初に飲んだウイスキーしかり、あれほどの情熱を与えるきっかけになったウイスキーの記載が見当たりません。
せっかくなので時代をさかのぼり、竹鶴政孝にとっての"ハイランドケルト"を考察してみたいと思います。

1916年、摂津酒造に入社する頃には、竹鶴は洋酒に興味を持っていたといいます。
当時日本にはワインなど各種洋酒の輸入が増え始めていたところ、日英同盟の影響もあってスコッチウイスキーも同様に日本の市場に入ってきていました。
また、竹鶴が通っていた大阪高等工業学校は神戸にほど近く、当時神戸といえば洋酒含む舶来物の輸入が盛んでしたし、新しいモノに興味やあこがれを持って・・・というのは考えられる話です。
実際竹鶴も、高等学校卒業後は家業である酒造を継ぐ可能性も考慮しつつ、その前に興味があった洋酒作りをしたいということから摂津酒造の門を叩いたと伝えられます。
その後、摂津酒造の洋酒部門で赤玉ポートワインに関わり、岩井社長の命令を受けてウイスキー製造技術を学ぶため、渡英するに至ります。
 
しかし当時の情報伝達速度、情報量で考えると、1916年入社で、1918年に渡英って、ものすごいスピードです。会社としてはもっと前から計画していたのかもしれませんが、その後の竹鶴の行動を見ているとほぼノーアポ、現地調達サバイバル研修。とても綿密な計画とは思えません。
同盟が締結されたとはいえ、ネットも無ければ世界の歩き方もない、飛行機も無いので手紙だって往復で数ヶ月かかるのは普通なところ。
日本の地を2度と踏めないかもしれない、先の見えない危険な話。それをたいした計画もなくほぼ丸腰状態。
いくら社命とはいえ、あこがれだけで決意を固めることが出来るんでしょうか・・・(まぁ書籍の情報通りの性格なら、竹鶴はやりかねない気もしますが)。

推測に過ぎませんが、留学前、当時日本に流通していたイミテーションと、本格スコッチウイスキーの飲み比べはしてるんじゃないかと思います。
それこそ摂津酒造が取り寄せて、モルト、グレーン、ブレンデットと試飲した可能性もあります。
それで感銘と同時に危機感を抱いた竹鶴が、日本人に本当に美味しいウイスキーをと感じたならば、流れは自然かなと。
 
その推測に基づき銘柄を考えますと、当時はブレンデット全盛期でシングルモルトの流通は極めて少数。
記録が残っているのは、カルノー商会の取り扱いだった、デュワーズ、H&B、ブキャナン。グラバー商会(ジャーディン系)が輸入していたウイスキー。あるいは当時から既にステータスを確立していたパー系か。列歴史を紐解くと、おおよそ当時日本に流通していた銘柄は限られてきます。
H&Bはロイヤルワラントで日本の皇室にも入ったやんごとなきお酒。デュワーズはアメリカでヒットした関係もあって当時取り扱い銘柄の種類も多い。
パー系のオールドパーやマンローキングオブキングスも当時日本に入っていた銘柄ですし、上述のジャーディン系としてホワイトホースの扱いがあれば神戸界隈で遭遇する可能性は高いところ。
絞りきれませんが、この辺に絞られてくると考えられます。
 
実はこの中のうち、当時の流通と思われるデュワーズ・ホワイトラベルは飲ませて貰ったことがあります。
約100年前の酒とあって、香味はだいぶ変化していましたが、オールドスコッチらしいどっしりしたピート感があったのが印象的でした。
経年変化を逆算して考えると・・・カラメルの甘さに麦芽のスモーキーで芳醇な香味、それこそ竹鶴のハートを鷲掴みにする、非常に魅力ある酒だったのではないかと思います。
 
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(写真引用:Whisky link デュワーズ・ホワイトラベル8年 1920年前後流通)
 
※当時の日本のウイスキー文化の参考に。
ウイスキーマガジン:戦前の日本とウイスキー
 
 
さて、長々書いておいて、竹鶴にとってのハイランドケルトは特定出来ませんでしたが、ドラマ"マッサン"のハイランドケルトは面白い情報が手に入りました。
ハイランドケルトのモデルについては色々意見や予想があるところですが、これ、中身はスコ文研の土屋守氏が監修したブレンデットウイスキーなんだそうです。

ハイランドケルト
(写真引用:ハイランドケルト・NHK  呑壱の呑んだくれブルース様)

この話は土屋氏のセミナーの中で話があったそうですが、聞いた瞬間ぽかんとしてしまいました。
まず第一に、ハイランドケルトのラベルにはシングルモルトと書いてあるじゃないか、という疑問があります。
これは上でも書いたように、当時はスコットランドであってもシングルモルトウイスキーは少数で、大多数はブレンデットだったわけですが、土屋さんもその辺を踏まえ、現地で飲んでいるとしたらブレンデットだとNHKに話をしたものの、製作チームはシングルモルトでラベルを作ってしまったそうなのです。
 
また、中身についてはジョニ赤(MHD経由では黒という話も)にアードベックを足したモノで、当時のウイスキーは今よりピーティーだったのではと、アードベックをブレンドして雰囲気を出したと。
ジョニーウォーカーである理由は、竹鶴政孝が現地に留学した際に飲んでいたとすれば、留学先の地域などから推測してジョニーウォーカーだろうということ。
つまりハイランドケルト=ジョニーウォーカーだったんですね。
ドラマ用のセットに本当にウイスキーが入ってたのも驚きですが、実はラベルプリントミス(?)だったのも驚きです。
 
ハイランドケルトはハイランドパークが元ネタだと、けっこーな数のサイトが掲載していますし(これは誰が言い出したのか、出所が怪しいんですけど。)、かくいう自分も、LONMORT蒸留所だから多分ロングモーンのシングルモルトだろうと思っていたのですが、みんなNHKに釣られましたw。
 
NHKはこの責任をとって、"日本のウイスキー、そのルーツを紐解く"みたいなドキュメントを、スピンオフついでにやってほしいものです。
答えは出ないかもしれませんが(笑)。
 

本記事を書くにあたり、先行してFBウイスキー友の会で色々ご意見、情報を頂きました。
特に当時の神戸界隈(グラバー商会)関連の情報等を頂いた札幌Malt Bar Kirkwallのマスター岩本様。
摂津酒造関連の情報をいただいた、お初天神BAR Paradis マスター岩田様。
ハイランドケルトの真相に関する貴重な情報を頂いたS様、I様、ありがとうございました。

そして最後に一言。
「やったね!これでハイランドケルトが飲めるよw!」

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